長崎ギター音楽院広報誌  LUDERE


ベネズエラン・ワルツ特集




第3回小さな音楽会「山下光鶴ギターコンサート」を聴いて


 会場の長崎ギター音楽院サロンに急ぎ足で到着したのは、演奏が始まるほんの5分ほど前。日曜日のバスの発着はウィークデイより間隔があるのをすっかり忘れていた。もっと早めに準備して家を出ればよかったと、後悔してもしかたの無いことだった。

 なんとか開演時間の前にたどり着いたが、バス停から早足で歩いてきたのと、間に合うのかという焦りで胸の動悸がしばらくは治まらなかった。すでに会場は照明が落とされ、薄暗い中にスポットライトだけが点灯し、演奏台の上に置かれたピアノ椅子あたりを照らしている。控え室のほうからは調弦する音がかすかに漏れ聞こえてくる。

 会場は新型コロナ対策のため、客席は十分な間隔が取られ、「小さな音楽」と銘打たれているだけに、着席している観客の数は6,7名だろうか。コロナ禍でなければもっと大勢の人を呼ぶことができただろうにと、少し残念な気がする一方、ゆったりした空間の中で、手の届きそうな距離で演奏を聞けるというのは、まったく持って贅沢なことともいえる。

 彼がこの「小さな音楽会」を企画したのは、新型コロナウィルス対策と言うよりも、むしろ彼が学んでいたドイツでは、このような少人数を集めたこぢんまりとした演奏会が小さなサロンや普通の家庭の広間でよく開かれるからなのだそうだ。大きなホールでのコンサートとは違って、より身近に音楽が感じられるのは間違いないだろう。実際、演奏が始まると目と鼻の先でスポットライトに浮かび上がった光鶴氏が、まるで私一人の為だけに演奏してくれているような錯覚を覚えるほどだった。

 

 さて、いよいよ演奏が始まる時間となり、会場の小さなサロンの入り口に姿を現した光鶴氏。細身のズボンにジャケット、中に着ている襟無しのシャツ、それらが上から下まで黒で統一され、すらっとした体形がより引き締まって見える。ギターを胸に抱き、軽く微笑んでいる表情には、緊張というよりもむしろ余裕が感じられる。一礼した後、椅子に腰を下ろすと、すぐに演奏を始めるのではなく、演奏前のコメントというのだろうか、ちょっとしたトークがある。これは、これまでの「小さなコンサート」や「サロン会」などですでに馴染みのスタイルとなっている。このトークは挨拶やプログラム全体のことから始まり、次に演奏する曲について、作曲者のことであったり、曲の構成についてであったり、作られた時代背景であったりする。また、曲にこめる自らの思い入れなどが語られたりすることもある。光鶴氏のこの静かでソフトな語り口と、よどみなく流れるようなトークは、聞く者を快くさせ、心を落ち着かせる魔力がある。しかし、その内容は音楽に対する十分な知識と共に、これまでの演奏経験に裏打ちされたしっかりしたものであることがうかがえる。この語りはあたかも演奏の一部分であるかのように一体化していて、演奏の邪魔になったり、違和感を与えたりすることがないのは光鶴氏のひとつの特別な「技」なのかも知れない。

 曲が始まるたびにこのような短いトークがあり、全部が終わってみると、ちょうど音楽に関する講義を知らず知らずの内に受けたかのような、そんな充実感を味わっている自分を発見する、それも素晴らしい生の演奏付きで。こんな贅沢なことがあるだろうか。

 

 何はともあれ、演奏会のプログラムは「即興演奏」で始まった。即興ということだからその場の思いつきということなのだろうが、ギターを少しかじっただけの私としては、そんなことができるのだろうかと疑ってしまう。前もって十分準備し、練習したものではないかと。しかし、実際はやはり即興で演奏しているそうである。日頃光鶴氏がいろいろな講座のとき、その場で簡単な曲を作って即興的に演奏したり、ひとつの曲をいとも簡単に(と見える)編曲できたりするのを知ると、やはり「即興演奏」に間違いないといえる。それにしても即興で演奏できるとは“すごい”の一言である。

 

 さて、演奏されたすべての曲について、解説したり、評したりする能力は私にはない。また紙面にも限りがあるので割愛させていただくとして、特に印象に残った数曲についての感想などを簡単に記すことにする。

 スペインの古楽「ロマネスカ」から始まり、バロックのJ.S.バッハへと続く前半のプログラム。音楽も時代とともに大きく変化してゆくのがわかる。光鶴氏のバッハ演奏を聴くたびに想うのは、その演奏技術の素晴らしさ、つまりミスのほとんど無い正確さ、指の運びの速さなどは言うまでもないが、私がいつも感じるのは、なんと表現すればいいのか、彼が演奏するバッハ音楽の自然さとでも言うのだろうか、ぴったりする言葉が見つからないのだが、つまり、バッハが作った音楽というよりも、光鶴氏が創作した曲のひとつではないだろうか、と思わせるほど自然で違和感がない。確かに聞き覚えのあるバッハの名曲には違いないのだが、彼の演奏を間近に聴いていると、彼自身の身内から作り出され、血肉となって溢れ出ているかのように感じられてしかたがないのである。これは単なる私の錯覚なのだろうか。

 

 時代は近・現代へと進み、これも光鶴氏が常に重点を置いていると言ってもいいほどの、中南米音楽が続く。その間に光鶴氏自身のオリジナル曲も混じるプログラム構成になっている。

 ヴィラ=ロボスの2曲の間に、彼自身のオリジナル曲「夢見るように」が演奏された。演奏前に彼が言っていたのは、プロコフィエフによる同名の曲からインスピレーションを得て作曲したとのこと。残念ながらプロコフィエフの曲を聴いたことのない私には比較の仕様がないのだが、光鶴氏の曲を聴いて、それこそ夢見るような気分を十分味あわせてもらった。

 もう一曲の自作曲「およぐひと」は、彼自身の説明によると、アフリカ系キューバ音楽のリズムを取り入れ、その曲想は萩原朔太郎の同名の詩から得て作曲したとのこと。これもまた勉強不足で、朔太郎のこの詩をじっくりと読んだことのないのが残念なのだが、朔太郎という、あの繊細すぎるほど繊細な感覚の持ち主だった詩人のことを思い浮かべると、キューバ音楽のリズムとどのように結びついたのか、どんなインスピレーションによって出来上ったのかを聞いてみたい気がする。

 ちなみに、萩原朔太郎は若い頃マンドリンを学び、またクラシックギターも弾いていたそうである。彼が残した愛用品の中にも、クラシックギターがしっかり残っていたとのこと。詳しいことは分からないが、機会があればその経緯を調べたみたい

 

 プログラム最後の2曲は南米エクアドルとパラグアイの曲で、二つとも「鳥」をテーマにしたものだった。エクアドルは赤道直下の国、そしてパラグアイはアルゼンチンの北隣に位置する海の無い国。遠く離れた二つの国の曲のあいだにどんな違いがあるのか、それとも共通点はあるのか、それらを聞き比べるのも楽しみの一つである。どちらもラスギアードが特徴的な曲だったが、私にはそれを言葉にして表現する力がないのがもどかしい。

本来ならば、複数の人やグループで演奏されるのが普通なのではないかと考える。つまり、メロディーやリズム、ベース、打楽器などいくつかのパートに分かれて演奏されるものだろう。それを光鶴氏は一人で演奏する曲として編曲したものと思われる。さまざまに変化するラスギアードのリズムの中に、ベースもメロディーもしっかり聞こえてくる。さすがに中南米の音楽を掘り下げて研究、演奏活動をしている光鶴氏の面目躍如という演奏だった。

プログラム最後となる曲「鐘つき鳥」は終盤に向かって次第に盛り上がり、ラスギアードが激しくリズムを刻みつつ感動的に終わった。

 

すべてのプログラムが終わり、深く一礼している間にも、少人数ながら来場者全員の大きな拍手は鳴り止まず、すばらしい演奏に対する感動と賞賛、感謝を表しているようだった。

アンコールに応えて再び登場した姿に、拍手は一段と大きくなる。再び着席して演奏したのは「フロールウンディア(ある日の花)」というペルーの曲。それにもう一度アンコールに応えての最後の曲はJ.S.バッハの「アンダンテ」という緩やかな曲で終焉となった。

 

演奏会が終わり、すでに暗くなった街をバス停までの道のりを歩きながら、今夜の演奏会をゆくりなく振り返っていた。古いスペインの曲で始まり、バッハ、そしてヨーロッパから海を渡り、南米ブラジル、ベネズエラ、エクアドル、パラグアイと踊りのリズムが加わり、次第に激しくなるラスギアードと共に気持ちは高揚してゆく。そして、聴くものの心を強く揺さぶりながら、それが最高潮に達した時、突然のように音楽が終わる。

最後の音の余韻が消え去り、それでもまだ目を閉じ静止したままの演奏者。その沈黙の中で、再び音楽が逆流してゆくような、そんな不思議な数秒間を味わうことができたことなどを思い出しつつ、感動の余韻にひたっていた。

夜の街をゆっくりと歩きつつ、バス停までの距離がもっと長ければいいのに、と思いながら。

 

                         END

 

 

                              T.M


第 1 回長崎ギター音楽院 ギター短歌・川柳コンテスト


みね&しのぶ

 

 

(名月を詠みて)

 

 

名月と、知りつつ部屋に、籠り居り、一人奏でる、ソルの調(しらべ)を。

 

 

名月の光を背(せな)に感じつつ、爪弾く弦は、影に震える

 

 

名月を、仰ぎ見つつもギター弾く、かぐや姫さえ再び戻る

 

 

(コロナ禍を詠みて自分の演奏につぶやきつつ)

 

 

ギターさん、あんたコロナか、よくミスる

 

 

下手(へた)ギター、コロナのせいじゃ ないかしら?

 

 

(秋を詠んで)

 

 

虫の音を、しばし止(とど)める、我がギター

 

 

 

 

A. A.

 

 

光るひと、なま音(おと)集め、律の調べ ちりばめた

 

 

音小ホール いっぱいに 秋の暮れなずむ小さなコンサート

 

 

どの音も、我奏すれば、絶不調

 

 

トレンドの、ビスチェまとって、老ファッション

 

 

 

 

浜口征洋

 

 

見上げると、羽を休めた鳥たちが、電線の上で大合唱。

 

 

かえるの子、楽譜の上で、背比べ、どんな曲ができるのやら

 

 

 

 

岩永俊三

 

 

里の秋、虫の音(ね)響く、コンサート。

 

 

夕ぐれの、トレモロさびし、秋の風。

 

 

普面台、見ないでひけば、ずれる音。

 

 

遠い日の、レモンの香り、よみ帰る、我が青春の帰らざる日々。

 

 

バラードの、ギターの音色、むせび泣く、せつない思い、今ははかなく。

 

 

 

 

T. I.

 

 

窓開けて、一人ギターを、つまびけば、近くでハモル、うぐいすの声。

 

 

 

 

平野 宏

 

 

テルカクとう古風な名前もつ若者(ひと)のギターから吹く南米の風

 

 

おすたたくこするくすぐるかきあげる ほらほらギターのなんと豊穣

 

 

奔放に鳴る恋人(ひと)の心中探るがに耳押しあてて弾くロブレーニョ

 

 

トレモロじゃなかってぇ手ぇの震うったい

 

 

名器より呉れるならセゴビアの指が欲し

 

 

特技はと聞かれりゃギターと言いたいが

 

 

 

 

立山照寛

 

 

おとうさん、近頃うまくなったね。「ギター」と妻が言う。

 

 

体を休め、心をいやすギター弾き、のどかな秋日和。

 

 

ギター弾く、心もやすらぐ音色に引かれ、縁の下の虫も鳴き出す。

 

 

コロナで行けない旅だけど、ギターの音色でいい気分。

 

 

ギター弾く、時間も忘れ一日通す、ああそれでいい。

 

 

家庭菜園もいい、カラオケもいい、でもそれよりギターがいいね。

 

 

 

 

池浦恒信

 

 

院長は、ベルリン仕込みの、光鶴さん

 

 

作曲は、ソルフェージュから、スタートだ

 

 

新曲が、ふくらむ前に、寝てしまい

 

 

コードなど、覚えて難(むつか)し、あら高度

 

 

押さえても、ビビる音は、聴かぬ振り

 

 

エフメジャー、次はジーセブン、締めはC

 

 

セレナーデ、ちょっと弾けない、責めないで

 

 

 

 

佐藤 純子

 

 

 幼少時、見える幻影、雲間の音符か月の砂漠

 


作曲を、すると思わず、音羅列、気付いて楽しく、聴く世界

 

 

 

谷口喜八郎

 


星空や ギター爪弾く 手のひらに ほのかに香ほる 君一人

 


暗闇に ギター弾く手は どことなく 初心にかえり ぎこちなし

 


コロコロと コオロギ鳴きて 静かなり オンラインにて 協奏曲

 


コロナ禍に ギター爪弾く オンライン

 


オタマ弾き カエルの合唱 梅雨明ける

 


和して同ぜず ギターとカエルの大合唱

 

 

 

 

高石清


若き日に 思い描いた ギター弾き 六十歳越えて 習い初めたり



楽譜見て たどたどしくも 爪弾けば いつしか聴いた メロデイ新た



いつの日か わが手で弾かん 愛のロマンス 隣りの弾き手 指軽やかに



腹減った   ギター片手に  カップ麺



弾き語り   歌はあるある  ギター✖



ああこれだ  講師が弾けば  解る曲

 

 

 

 

西山俊範

 


コロナ禍で 練習するも 身にならず 早く弾きたや 仲間とともに

 


今日もまた 上達目指し 練習す されども遠く 高きギター道

 


ギタルラの 甘き響きに うっとりと 眠りにつきたし うたかたの夢

 


練習で ストレス忘れ 腕を上げ

 


舞い踊り ギターを爪弾く 両の指

 

 

譜と運指 合って初めて 名演奏

 

 

 

 

(順不同)

 


長崎ギター音楽院 録音・録画会


 

去る10月3日(土)雲仙市愛野町にある「愛の夢未来センター」において、長崎ギターオーケストラと3つのギターアンサンブルによる録音・録画会というイベントが行われた。これは本来ならば秋の定期演奏会が予定されていたものが、新型コロナウィルスの感染予防のため、演奏会等の自粛が要請されている影響で延期となった。そこで、観客なしの録音・録画会が企画され、その中から出来栄えのよい演奏をインターネット上にげて全国へ発信しようという初めての試みでもある。

 会場の「愛の夢未来センター」は昨年新築オープンしたばかりの施設で、600人ほどの収容人数があるホールを始め、リハーサル室、研修室、調理室なども備わっている。また1階には図書館も併設され、土曜日のこの日は子供たちなどで賑わっていた。

 

それぞれ午後1時に会場に集合したメンバーたちは、さっそく演奏場所となる舞台上のセッティングに取り掛かった。いつもならば客席のほうに向かって椅子などが並べられるのが、今回は逆の舞台奥を向く形で配置された。これは録音効果を優先させるためである。いくつもの録音、録画用の機器がセットされ、それぞれをチェックする光鶴先生はじめ池浦氏、内村氏ら機器に詳しい人たちが慌ただしく舞台上を行きかう。一方、合奏団員らはいつもの演奏会同様の舞台衣装ですでにスタンバイしている。

 

 いつものスタイルとはかなり違った演奏会に、メンバー達の顔にはいくばくかの戸惑いが浮かんでいた。観客のいない会場、舞台奥の黒い壁に向かい、録音機器やカメラに取り囲まれた中での演奏に、これまでにない緊張がある。音楽院での練習の時のように弾けるだろうか、失敗しないだろうか、といった呟きがささやかれる。しかし考えようによっては失敗があったとしても、取り直しができるというメリットもある。実際、テイク1、2、3と何度か取り直しすることができたのは、演奏するものにとってひとつの安心材料だった。

 

 すべてのセッティングが完了し演奏メンバーが舞台に集合すると、光鶴先生がみんなの前に立ち挨拶の後、今日のイベントについての主旨や演奏に対する心構えなどを説明した。その中で、心をリラックスさせていつものように演奏すればすばらしい作品ができるということを強調していた。

 

録音・録画会のトップバッターは「ギターアンサンブル・ジュピター」の「アリア」/J.S.バッハから。以降、それぞれが作曲をしたメロディーを含んだ「タランテラ・ナポレターナ」、「剣の舞」、モーツァルトの「ディヴェルティメント」、「花祭り(ペルー)」、「ラ・パルティーダ(ベネズエラ)」、「子守歌(ハチャトリアン)」、ビバルディの「夏」、バッハのガボット、最後は「アフロディーテ・アンサンブル」のエクアドルの曲「光の天使」の演奏であった

 

 舞台袖では演奏が終わったメンバーの数人が、収録の邪魔にならない場所を陣取り、ほかのグループが演奏する音楽に熱心に耳を傾けていた。

 光鶴先生はほとんどのグループに参加して演奏し、また収録機器のセッティング、調整にと駆け回っていた。本当にお疲れ様でした。

 

予定では午後にはすべての演奏、収録が終わるだろうという目安だったが、実際には4時半くらいまで伸び、片付けが終わったのは5時ぎりぎりだった。メンバー一同、ひとつのイベントが終了した安堵感と、少しの反省を胸に秘めながら、それぞれの帰途についた。次の演奏会はもっとすばらしいものにするぞという意気込みと伴に。

 

                              END

 

 

                               T.M


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監修 山下光鶴

編集長 池浦恒信

編集・デザイン 内村灯

特任記者 峰敏信